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Campeonato Paulista 2007 〜サンパウロ州選手権〜

チモンの監督業は"生き地獄"? エメルソン・レオンが辞任表明。
エメルソン・レオン、就任からわずか7ヶ月でコリンチャンスを退団。

 ブラジルきっての名将に、解雇が告げられた。かつて清水エスパルスやヴェルディ川崎でも監督を務めたエメルソン・レオン ( 元ブラジル代表GK / 元ブラジル代表監督 ) が、コリンチャンスから解雇を言い渡され、4月2日を以て辞任を表明した。コリンチャンス就任から7ヶ月での解任劇。レオンを以てしても、コリンチャンスの監督業を1年間続けることはできなかった。

 2004年末から MSI 主導の大型補強によって右肩上がりに戦力を上げていったコリンチャンスは、2005年こそFWテベス、MFマスチェラーノといったアルゼンチン代表選手に支えられて全国選手権優勝を成し遂げたが、2006年のリベルタドーレス決勝トーナメント1回戦で強豪リーベルに大敗。するとFWニウマールの大怪我も重なってチームの結束力は一気に崩れてしまった。その間取っ替え引っ替え監督を入れ替えていたばかりか、同年7月にはテベスとマスチェラーノを揃ってウェストハム ( イングランド ) に放出。戦力ダウンに歯止めがかからない、そんな状況下でこのクラブの監督に就任したのがエメルソン・レオンだった。
(※参照:2006年8月15日出稿記事 MSI 、今年4人目の監督人事。エメルソン・レオンは富豪軍団を蘇らせるか?)

 だが、稀代の鬼監督として知られるエメルソン・レオンを以てしても、コリンチャンスの監督業を続けていくことは難しかったようだ。同氏の解雇を決定したのは MSI のヘナット・ドゥプラ氏で、そのきっかけとなったのは、4月1日に行われた格下セルトンジーニョとの試合での引き分けであった。ドゥプラ氏はレオン解雇の理由について「州選手権で準決勝進出を果たせず、クラブは200万ヘアウの収入の機会を失った。今最も高い人件費は選手でなくエメルソン・レオンであり、彼に離れてもらわなければ経営が成り立たなくなるからだ」としている。監督の給料をまともに払う気もない MSI 。とてもじゃないが、「南米の銀河系軍団」を目指した親会社の発する言動とは思えない。
 先の日曜日に某ホテルのロビーに呼び出されたエメルソン・レオンは、カフェでコーヒーを飲みながらドゥプラ氏らと対談し、クラブからの解雇通告を素直に受け入れたと報じられている。

 エメルソン・レオンは翌4月2日の午前中にクラブの練習場に現れたが、いつものジャージ姿ではなくカジュアルな服装で登場。コリンチャンスの選手たちを集めて少し話をすると、クラブハウスの従業員たちにお別れの挨拶をし、最後に更衣室に残っている自分の荷物を持って立ち去ったという。
 その後開かれた辞任会見の場でエメルソン・レオンは、コリンチャンス ( 愛称:チモン ) の監督業について「選手としてコリンチャンスにいた頃とは全く違う現実が待っていた。私のキャリアで最も困難な仕事だった」と言い切った。キーパーと監督、2つの立場でブラジル代表を経験したキャリアの持ち主の口からそんな言葉が出たことに地元マスコミは過敏な反応を示した。

 エメルソン・レオンがいた7ヶ月間のコリンチャンスの成績は、46戦して22勝13分11敗。数字は決して悪くない。むしろ壊滅状態に近いチームでよくぞ22勝もあげたものだと称賛されて然るべきである。しかし、エメルソン・レオンはクラブの首脳陣や過激なサポーターからの批判を一身に浴びて白旗を上げてしまった。このクラブで監督を務めることが"生き地獄"であることを、エメルソン・レオンが証明したと評することもできるのが何とも悲しいことである。

 振り返れば、2005年上半期にレオン体制で州選手権11戦無敗の記録を打ち立て、満を持してブラジル全国選手権に臨んだパウメイラスは、ブラジル全国選手権2006第2節フィゲイレンセ戦での大敗後にレオン監督の解雇を決定。たった一度の大敗でレオンのクビをあっさりと切ったパウメイラスはその後、シーズン終盤まで降格争いに苦しんだ。コリンチャンスがパウメイラスの二の舞となるかは定かでないが、とりあえず言えるのはこのような解雇劇ひとつでチームが簡単に強くなるなどといううまい話はないということだけだ。

 かくしてコリンチャンスの監督の座を退いたエメルソン・レオンの元には、早くも他クラブからの就任要請が殺到しているという。そして、エメルソン・レオンのクビを切ったコリンチャンスは今後いかなる迷走を始めるのだろうか。

 写真; 辞任会見でコリンチャンスの監督業を「私のキャリアで最も困難な仕事」と表現したエメルソン・レオン。

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