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Copa América 2007 〜 コッパ・アメリカ ( 南米選手権 ) 〜

Juégo  〜試合速報〜

ドゥンガの哲学、ハマる。セレソン、宿敵アルヘンを退けて大会連覇達成!

決勝 ブラジル 3-0 アルゼンチン

 コッパ・アメリカはベネズエラのマラカイーボで準決勝が行われた。エスターディオ・ホセ・パチェンチョ・ロメーロで行われた ブラジル×アルゼンチン は、下馬評不利と言われたブラジルが 3-0 で快勝。大会連覇を達成した。

 試合は、開始早々に動いた。5分、自陣でインターセプトしたボールがMFエラーノの足元に渡ると、エラーノは右に流れながら前線にボールをフィード。これに反応したMFジュリオ・バチスタがペナルティエリアでトラップし、DFアジャラとの間合いをうまくとりながら右足を振り抜いた。GKアボンダンシエーリの頭上を越えてゴールネットに突き刺さり、ブラジルが早々と先制した。
 追いかけるアルゼンチンは、8分に左に流れたFWメッシのクロスをMFベロンが頭で落とし、最後はMFリケルメが左足でシュート。しかし、リケルメの狙いすましたシュートはゴールポストを直撃し、同点とはならなかった。ブラジルは完全に崩されたが運良く失点を免れた。
 その後はアルゼンチンが人数をかけて攻め込み、耐えずブラジルにプレッシャーをかけていく。だがブラジルは焦ることなく丁寧にボールをつなぎ、17分にはDFマイコンのオーバーラップからゴール前に攻め込むと、22分にはMFジュリオ・バチスタのクロスにFWホビーニョが頭で合わせるなど、積極性を見せた。
 ブラジルは33分にMFエラーノが右足を痛めて退場。代わってDFダニエウ・アウベスがエラーノのポジションに投入されたが、なおも圧力をかけたアルゼンチンは35分にMFリケルメが右足でシュート。GKドーニが左手一本で弾き返したが、アルゼンチンは前線に人数をかけて攻撃を展開した。しかしアルゼンチンの前がかりな攻撃はしばしばブラジルにカウンターの機会を与えていく。そして迎えた40分、アルゼンチンにとって起こってほしくなかった事態が起こった。GKドーニのフィードから中盤でボールを細かくつないだブラジルはMFダニエウ・アウベスが右サイドを駆け上がってクロス。FWホビーニョとFWバグネール・ラブの動きを警戒したDFロベルト・アジャラがクリアしようと伸ばした足に当たったボールは、GKアボンダンシエーリの守るゴールに転がってしまった。DFアジャラのオウンゴールにより、ブラジルのリードは2点と広がった。

 後半、アルゼンチンは56分に疲れの見え始めていたベロンに代えてMFアイマールを投入。すると63分に決定機をつくった。右サイドをドリブルで上がったFWテベスのクロスをMFリケルメが頭で後方にそらすと、MFアイマールがボレーシュート。そのリバウンドをFWメッシが左足でシュート。さらにそのこぼれ球をFWテベスがシュート。しかし、いずれも相手の体に当たりゴールには届かず。
 すると逆に危機を乗り越えたブラジルはカウンターからダメ押しの3点目をゲットした。69分、自陣の左サイドからFWホビーニョが前方にボールを蹴ると、それをトラップしたFWバグネール・ラブがドリブルで前進。相手の注意を己に集中させて裏のスペースにスルーパスを供給した。右から突進したMFダニエウ・アウベスはこれを右足のインサイドで丁寧に蹴ってファーサイドネットにゴール。これでほぼ勝負は決まった。
 思うように試合をつくれないアルゼンチンは、ボールこそ支配したものの最後までブラジルの4バックを崩しきれなかった。タイムアップの瞬間、ブラジルの大会連覇が決まった。

 ホナウジーニョもカカーもシシーニョもゼ・ホベルトもいない今回のブラジル代表は、前回大会の2004年と同じく「B代表」と酷評されていたが、この優勝は周囲の喧騒を払拭するに値するものとなった。しかもレベルの高い一流選手を揃えたアルゼンチンを相手に快勝したのだから、その価値は高い。かつてブラジル代表のキャプテンとしてワールドカップを獲得し、ジュビロ磐田を常勝軍団にのし上げたドゥンガ監督の哲学は、あくまで「美しさ」ではなく「強さ」。勝利こそがすべてという考えで大会に臨んだ。このドゥンガの姿勢に「魅せる要素がない」と国内外から批判が相次いでいたが、ドゥンガは己の哲学で最高の結果をもたらした。就任当初から絶えず批判にさらされ、精神的にまいっているとの報道もあるが、この優勝でドゥンガの肩の荷も少しは軽くなったと思われる。

 一方、アルゼンチンにとって 0-3 は予想だにしなかったであろう結果。前回はPK戦の末敗れたが、今回はPK戦に持ち込むことすらできなかった。準決勝まで素晴らしく機能していたカンビアッソ、マスチェラーノ、ベロンの3ボランチも100%の出来になく、徹底的にマークされたリケルメは本来の仕事をさせてもらえず。両サイドの攻防でも相手に押されるなど、らしからぬ場面が幾度となく見られた。
 かくして2大会連続で本気で優勝を狙い、準優勝に甘んじたアルゼンチン。地元 Ole 紙が「セレステ・イ・ブランコの命日」と評するなど、批判の的になっているという。夢のような豪華なメンツを揃えながら優勝を逃したアルゼンチン。この歯がゆさがファンの心を虜にしてやまないのであろうが、そろそろ本気でタイトルを手にしてもいい頃だが、それは果たして叶うのか。

 写真右上; 優勝セレモニーで特製シャツを身につけて笑顔のブラジル代表。
 写真左上; MFジュリオ・バチスタ ( ブラジル ) の先制点を祝福するブラジル代表のイレブン。
 写真右中; ダメ押しの3ゴールを決めたMFダニエウ・アウベス ( 上 ) 。9番はFWバグネール・ラブ ( 下 ) 。
 写真左下; 優勝候補筆頭のアルゼンチンに完勝。チームに貢献したGKドーニに飛びついたドゥンガ監督 ( ブラジル / 右 ) 。
 写真右下; サントス時代からの戦友でビッグタイトルを奪取。仲良し同士肩を組み優勝を喜んだMFジエーゴ ( 左 ) とFWホビーニョ ( 右 ) 。


コッパ・アメリカ 2007 決勝 (15/06/2007)
ブラジル 3-0 アルゼンチン
ドーニ GK ロベルト・アボンダンシエーリ
マイコン
アレックス
フアン
ジウベルト
DF ハビエル・サネッティ
ロベルト・アジャラ
ガブリエル・ミリート
ガブリエル・エインセ
ミネイロ
ジョズエ
エラーノ
( ダニエウ・アウベス )
ジュリオ・バチスタ
MF ハビエル・マスチェラーノ
エステバン・カンビアッソ
( パブロ・アイマール )
ファン・セバスティアン・ベロン
( ルイス・ゴンサーレス )
ファン・ロマン・リケルメ
ホビーニョ
( ジエーゴ )
バグネール・ラブ
( フェルナンド )
FW リオネル・メッシ
カルロス・テベス
ジュリオ・バチスタ 05
(オウンゴール)ロベルト・アジャラ 40
ダニエウ・アウベス 69
ゴール
アレックス
ドーニ
ジウベルト
ジュリオ・バチスタ
ジョズエ
イエロー
カード
ハビエル・マスチェラーノ
カルロス・テベス
ドゥンガ 監督 アルフィオ・バシーレ
主審; カルロス・アマリージャ ( パラグアイ )
スタジアム; エスターディオ・ホセ・パチェンチョ・ロメーロ ( マラカイーボ )

Goleadores 2004 〜ゴールランキング〜

1 6 ホビーニョ
ブラジル
2 5 ファン・ロマン・リケルメ
アルゼンチン
3 4 ネリ・カスティージョ
メキシコ
4 3 エルナン・クレスポ
アルゼンチン
4 3 サルバドール・カバーニャス
パラグアイ
4 3 オマール・ブラーボ
メキシコ
4 3 ロケ・サンタクルス
パラグアイ
4 3 ジュリオ・バチスタ
ブラジル
4 3 ディエゴ・フォルラン
ウルグアイ
4 3 ウンベルト・スアーソ
チリ
11 2 クアウテモ・ブランコ
メキシコ
11 2 ハイメ・カストリジョン
コロンビア
11 2 クラウディオ・ピサーロ
ペルー
11 2 セバスティアン・アブレウ
ウルグアイ
11 2 ハビエル・マスチェラーノ
アルゼンチン
11 2 リオネル・メッシ
アルゼンチン
11 2 ハイメ・モレーノ
ボリビア

Regulamento 〜レギュレーション〜

 南米大陸のうち、スリナムとガイアナを除いた10カ国が参加して行われる。グループリーグを3つに分けるため、数の補正のために南米以外の国でサッカーの実力のある2ヶ国が参加のために招待される。日本も1999年パラグアイ大会に招待されたことがある。

 グループ分けはシード制で3つ分けられ、主に開催国とブラジル、アルゼンチンがシード国になる。 1グループあたり4ヶ国で3試合が行われ、2位以上は自動的に決勝トーナメントに進出。しかし3つのグループから2位以上のみだと6ヶ国と、決勝トーナメントを行う8ヶ国と数が合わない。そのため、勝ち点や総得点などで成績上位の2ヶ国が、残された3位以下の中から選出される。

 トーナメントは90分間で争われ、同点の場合はPKで決着をつける。延長戦は行われない。 試合は決勝戦まではもちろん、3位決定戦も行われる。

Historia 〜歴史〜

 日本語で「南米選手権」と表記されるコパ・アメリカの歴史は古く、1916年までさかのぼる。FIFA主催の第1回W杯が開催されたのが1930年であることから、コパ・アメリカはワールドカップよりも10年以上も古い時代から行われてきたフットボール史上最古の国際大会なのだ。同大会誕生のきっかけは、南米サッカー連盟 (CONMEBOL…読み方;コンメボル) が設立されたことにあった。

 ワールドカップが国際大会としての最高の地位を築いている現在では、ブラジルやアルゼンチンなどの強豪国もW杯を最優先に掲げるが、ほかの南米諸国には依然「コパ・アメリカ優先」の意識が根強く残っている。これは、ウルグアイで行われた第1回ワールドカップで欧州各国が不振に終わったため、「南米と欧州の戦いなんて無駄なんだよ。南米が強いに決まってるんだから“南米一 = 世界一”ということだ」といった固定観念が出来上がってしまったことに起因している。


 創生期、コパはほぼ毎年のように開催されていたが、ワールドカップの出現によって開催頻度は減少する。1987年からは2年に1度のペースで開催されてきたが、ワールドカップやEUROに比べると開催頻度は依然高く、ブラジルやアルゼンチンなどではコパ・アメリカを軽視する動きが出てくるようになった。現在は失墜した権威の回復を狙ってワールドカップと同じ「4年に1度」の開催にしようという意見が強くなってきている。



Campeones y Goleadores 〜過去の大会の優勝国、準優勝国、得点王〜

開催 優勝国 準優勝国 得点王 (得点王の国籍)
2007 ブラジル アルゼンチン ホビーニョ (ブラジル)
2004 ブラジル アルゼンチン アドリアーノ (ブラジル)
2001 コロンビア メキシコ アリスティサーバル (コロンビア)
1999 ブラジル ウルグアイ ホナウド (ブラジル)
1997 ブラジル ボリビア アドリアーノ (ブラジル)
1995 ウルグアイ ブラジル バティストゥータ (アルゼンチン)
ルイス・ガルシア (メキシコ)
1993 アルゼンチン メキシコ ドルヘッタ (ベネズエラ)
1991 アルゼンチン ブラジル バティストゥータ (アルゼンチン)
1989 ブラジル ウルグアイ ベベット (ブラジル)
1987 ウルグアイ チリ アルノルド・イグアラン (コロンビア)
1983 ウルグアイ ブラジル ブッルチャーハ (アルゼンチン)
ホベルト (ブラジル)
アギレーラ (ウルグアイ)
1979 パラグアイ チリ ホルヘ・ペレード (チリ)
エウヘーリオ・モーレル (パラグアイ)
1975 ペルー コロンビア ルケ (アルゼンチン)
エルネスト・ディアス (コロンビア)
1967 ウルグアイ アルゼンチン ルイス・アルティーメ (アルゼンチン)
モーラ (パラグアイ)
1963 ボリビア パラグアイ カルロス・ロッフォ (エクアドル)
1959 ウルグアイ アルゼンチン サンフィリッポ (アルゼンチン)
1959 アルゼンチン ブラジル ペレ (ブラジル)
1957 アルゼンチン ブラジル マスチーノ (アルゼンチン)
アンブロイス (ウルグアイ)
1956 ウルグアイ チリ エンリケ・ホルマサーバル (チリ)
1955 アルゼンチン チリ ロドルフォ・ミチェーリ (アルゼンチン)
1953 パラグアイ ブラジル フランシスコ・モリーナ (チリ)
1949 ブラジル パラグアイ ジャイール・ホーザ・ピント (ブラジル)
1947 アルゼンチン パラグアイ ニコラス・ファレーノ (ウルグアイ)
1946 アルゼンチン ブラジル ホセ・マリア・エディーナ (ウルグアイ)
1945 アルゼンチン ブラジル メンデス (アルゼンチン)
エレーノ・ヂ・フレイタス (ブラジル)
1942 ウルグアイ アルゼンチン ホセ・モレーノ (アルゼンチン)
マサントーニオ (アルゼンチン)
1941 アルゼンチン ウルグアイ ファン・マルベッツィ (アルゼンチン)
1939 ペルー ウルグアイ テオドーロ・フェルナンデス (ペルー)
1937 アルゼンチン ブラジル ソサージャ (アルゼンチン)
トーロ (チリ)
バレーラ (ウルグアイ)
1935 ウルグアイ アルゼンチン マサントーニオ (アルゼンチン)
1929 アルゼンチン パラグアイ アウレーリオ・ゴンサーレス (パラグアイ)
1927 アルゼンチン ウルグアイ ロベルト・フィゲロア (ウルグアイ)
1926 ウルグアイ アルゼンチン ダビド・アレジャーノ (チリ)
1925 アルゼンチン ブラジル マヌエル・セオラーネ (アルゼンチン)
1924 ウルグアイ アルゼンチン ペドロ・ペトローネ (ウルグアイ)
1923 ウルグアイ アルゼンチン アギーレ (アルゼンチン)
ペドロ・ペトローネ (ウルグアイ)
1922 ブラジル パラグアイ ファン・フランシア (アルゼンチン)
1921 アルゼンチン ブラジル フリオ・リボナッティ (アルゼンチン)
1920 ウルグアイ アルゼンチン アンヘル・ロマーノ (ウルグアイ)
ホセ・ペレス (ウルグアイ)
1919 ブラジル ウルグアイ フリエデンヘイチ , ネコ (ブラジル)
1917 ウルグアイ アルゼンチン アンヘル・ロマーノ (ウルグアイ)
1916 ウルグアイ アルゼンチン イサベリーノ・フラディン (ウルグアイ)
ホセ・ペレス (ウルグアイ)
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