Jogo 〜試合速報〜 "南米の銀河系"落日。 コリンチャンス、無念の2部降格決定。 第38節 グレーミオ 1-1 コリンチャンス
ブラジル全国選手権は12月2日に第38節が行われた。ポルト・アレグレのエスタジオ・オリンピコで行われた グレーミオ×コリンチャンス は、1-1 で引き分けた。この結果、コリンチャンスは勝ち点44に終わり、同時刻に勝利したゴイアスに代わって17位に転落。2005年にテベスらを擁してブラジレイロンを制したチームは、わずか2年で2部に降格することとなった。 試合は、開始1分も立たないうちにグレーミオがセットプレイからFWジョナスのヘディングで先制。勝たなければならないコリンチャンスに重圧をかけると、その後も幾度となく決定機をつくり、相手を脅かしていった。だがコリンチャンスは30分に右サイドから崩して最後はFWクロドアウドが右足で強引にシュートを決めて同点に追いついた。 どうしても勝ちたいコリンチャンスの猛攻が期待されたが、ゲームを支配したのはグレーミオ。焦るコリンチャンスは 1-1 で迎えた後半ロスタイムにMFエベルトンが一発レッドで退場になるなど、ちぐはぐさが目立った。いち早く試合を終えたゴイアニアではゴイアスが勝利したことがスタジアムに報じられる。勝たなければ2部降格。しかし94分のDFゼロンのミドルシュートも力なくGKマルセーロ・グローエの正面に転がるだけだった。 タイムアップの瞬間、コリンチャンスの2部降格が決定。DFゼロンはピッチに崩れ落ち、キャプテンのDFベトンは人目をはばからず泣きじゃくった。そこに、2年前にテベスやマスチェラーノらを擁した当時の面影はどこにもなかった。一足早く解体した銀河系軍団レアル・マドリーよりも哀れな末路。"南米の銀河系軍団"は今日、死んだ。
写真右上; 失意の2部降格が決まったコリンチャンス。遠路はるばるゴイアニアに駆けつけたコリンチャーノは最悪の結果に顔を覆う。
Partidos 〜試合結果〜 第38節 ( 2007年12月2日 )
Regulamento 〜レギュレーション〜
▼ セリエA、セリエB、セリエCの3部構成。
▼ 上半期に行われる州選手権とは全く独立した大会。 よって州大会で優勝してもその結果は全国選手権の部編成に何の影響も及ぼさない。 州ではチャンピオンを争うチームでも全国選手権では2部ということもある。 ▼ 1シーズン通年制で行われる。ホーム&アウェイの総当たりで、最終順位が決まる。 ▼ 4位以上は、コッパ・リベルタドーレス出場権を獲得。 5〜11位は、コッパ・スダメリカーナ出場権を獲得。 2006年は、最終順位17位以下の4チームがセリエBに降格。 Historia 〜歴史〜
ブラジルは1970年で既にW杯3回優勝を成し遂げていた。にもかかわらず統一された全国大会が存在しなかった。今でも根強い人気を誇っている州選手権だが、元々は各州選手権がブラジルサッカーの基盤になっていた。 そのなかでサンパウロ州とリオ・デ・ジャネイロ州が中心的存在としてブラジルサッカー界をリードして、その他のサッカーが盛んだった州、例えばミナス・ジェライス州、ヒオ・グランジ・ド・スウ州などが集まり大会を開くこともあった。
1970年頃、ブラジルは軍政時代で、国の統一や発展に力を入れていた。サッカー界にもその流れが及び、1971年初めて全国規模の Campeonato Brasileiro が誕生。第1回王者は、テレ・サンターナ監督率いるミナス・ジェライス州のアトレチコ・ミネイロだった。 伝統チーム、強豪チームをしてもなかなかチャンピオンには手が届かない。例えば、クルゼイロはリベルタドーレス杯やスーペルコッパという南米の国際大会での優勝経験はあるが、ブラジル全国選手権では2003年にようやくチャンピオンの座に就くことができた。国内で最もハイレベルな大会が ブラジル全国選手権 である。 2002年まではリーグ戦ののち、上位8チームで決勝トーナメントを争う形式がとられていたが、2003年から完全リーグ制に移行した。 |
Clasificação 〜順位表〜 全日程終了
2007年12月2日
(左から 順位/勝ち点/チーム名)
※4位以上はリベルタドーレス出場権を獲得。 1位および5〜11位は、スダメリカーナ出場権を獲得。 17位以下は、セリエBに降格。 Goleadores 全日程終了
|