Jogo 〜決勝戦 試合速報〜 カルロス・テベスのファイナル・ファイト! ボカがホームで劇的な逆転優勝を飾る。 決勝 2nd.Leg ボカ・ジュニオールス 2-0 ボリーバル
コッパ・スダメリカーナは、12月17日に決勝 2nd.Leg が行われた。ブエノスアイレス・ボカ港のほとりにあるラ・ボンボネーラで行われた ボカ・ジュニオールス × ボリーバル の大一番は、ボカがボリーバルを相手に2点を奪って、劇的な逆転優勝を果たした。
先の週末に終えた 2004-2005 前期リーグでは8位に甘んじたボカ。リベルタドーレス優勝にあと一歩届かず散ったボカは、このスダメリカーナ決勝でも 1st.Leg を 0-1 で落としていた。今季はお世辞にも決して好調とは言えないチーム状態だ。それでも、愛するクラブの逆転優勝を信じて、この日ボカのホームスタジアム「ラ・ボンボネーラ」に集まったボケンセの総数は、55,000人を優に超えていた。ボカの黄色で180度埋め尽くされたスタンドからは、ただならぬ異様な空気が漂っていた。この大観衆の目の前で敵対するチームを優勝させようものなら、ラ・ボンボネーラは間違いなく修羅場と化すに違いない…。ボカにとっては、まさに背水の陣だったのである。 試合は、開始早々からボカの攻勢で幕を開けた。引き分け以上で優勝が決まるボリーバルは、是が非でもゴールを割らせない超守備的な布陣を敷いて、ボカの攻撃を跳ね返していた。だが、優勝への気迫に優るボカは、徐々にボリーバルのゴールマウスを脅かし始めていた。そして訪れた2度の決定機。 まず、リーガ・エスパニョーラから帰国したFWマルティン・パレルモが14分に決めて、トータルスコアを 1-1 に持ち込んだ。そして迎えた27分、ボカでの最後のプレイになるであろうFWカルロス・テベスが、値千金の決勝弾を叩き込んだ。トータルスコアは 2-1 。テベスのゴールが決まってからというもの、ラ・ボンボネーラではお決まりの大合唱が始まっていた。荻野目洋子や井上陽水らによって歌われたことで日本でも知られているコーヒー・ルンバ。「 Dale dale dale dale dale dale Boca!! 」 試合終了のホイッスルが鳴り響いた瞬間、劇的な逆転優勝を飾ったボカの勇姿を目の当たりにしたラ・ボンボネーラが、歓喜と興奮の スダメリカーナを制したボカ・ジュニオールスは、年明けに行われる レコッパ・スダメリカーナ (リベルタドーレス優勝チームと、スダメリカーナ優勝チームとが対戦する南米スーパーカップ) 2005 で、オンセ・カルダスと対戦することが決定した。 リベルタドーレス決勝のリベンジなるか? レコッパ・スダメリカーナもまた、熱い激戦が繰り広げられるであろう。
写真右上; リベルタドーレスに次ぐカップ戦を制したボカ。ラ・ボンボネーラに足を運んだボケンセにとっては、最高のひとときである。
Regulamento 〜レギュレーション〜
▼ 南米中の各国から優秀な成績を残したクラブチームが参加して行われるカップ戦。欧州に例えれば、さしずめ UEFAカップに相当するだろう。南米サッカー連盟 (CONMEBOL…読み方;コンメボル) が設立したもので、リベルタドーレスの敗者を含めた各国の上位チームが参加する。ブラジルやアルゼンチンからは6〜7チームが参加し、その他の南米諸国からはおおよそ2〜4チームほどに出場資格が与えられる。
▼ リベルタドーレスほどの権威はないが、スダメリカーナ制覇も南米では非常に高く評価される。ただ、この大会に関してはスダメリカーナの優勝クラブには、「レコッパ・スダメリカーナ」と呼ばれる大会で、リベルタドーレス王者と対戦する権利を得られる。ちなみに、レコッパ・スダメリカーナとは、欧州の UEFA スーパーカップ (チャンピオンズリーグ王者と、UEFAカップ王者が対戦するカップ戦) にあたるカップ戦である。 ▼ まず、グループリーグをホーム&アウェイで戦い、その上位2チームが決勝トーナメントをホーム&アウェイで戦う。南米では唯一欧州と同じカレンダーで開催されるアルゼンチンの国内リーグを考慮した同大会は、9〜12月に行われる。 Historia 〜歴史〜
▼ スダメリカーナとは、スペイン語で Sudamericana と表記。この単語は、Sud (南) + Americana (アメリカ) の2つをミックスした造語であり、日本語に直訳すればコパ・スダメリカーナは「南米杯」の意味にとれる。その名が示す通り、同大会はその昔、長年「 コパ・コンメボル(CONMEBOL =南米サッカー連盟) 」と呼ばれていた。
▼ 長年続いたコパ・コンメボルは1999年を最後に解体、代わって南米大陸を南北に2分した形のカップ戦が始まる。これが、「コパ・メルコスール(スール=南という意味)」、「コパ・メルコノールテ(ノールテ=北という意味)」にあたる。だが、この中途半端な区分の大会は、わずか4年で消滅。これらを統合した形で、コパ・コンメボル形式として復活した南米大陸カップが、「コパ・スダメリカーナ」になった。 スダメリカーナ自体の歴史は2002年からと浅いが、それ以前に別の名称でカップ戦が行われていたことを考えれば、歴史が古いともとれるだろう。 ◆ ちなみに、南米唯一のポルトガル語圏であるブラジルでは、「コパ・スダメリカーナ」とは呼ばずにポルトガル語で表記。「コパ・スウ・アメリカーナ」に呼ばれている。この場合、単語はポルトガル語で、Sul (南) Americana (アメリカ) になる。 |