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Campeonato Brasileiro 2006 〜ブラジル全国選手権〜

ブラジルサッカーの歴史を築いた男の他界。テレ・サンターナ、74歳で逝く。

 ブラジルサッカー界が深い悲しみに包まれた。元ブラジル代表のテレ・サンターナ監督が4月21日に入院先の病室で静かに息をひきとった。74歳だった。

 テレ・サンターナは1931年7月26日に生まれ、1950年に19歳でフルミネンセに入団して14年間右ウイングとして活躍した。その後グアラニー、マドゥレイラを経て、バスコ・ダ・ガマを最後に現役を引退した。現役時代はフルミネンセで州選手権優勝を2度、リオ=サンパウロ杯でも2度優勝を経験した。
 テレ・サンターナ氏が監督としてのキャリアをスタートさせたのは、現役引退後まもない1967年。フルミネンセのジュニア・ユースを指揮して以降、同軍のトップチームを指揮。以後、アトレチコ・ミネイロ、サンパウロ、グレーミオ、パウメイラスと名だたるビッグクラブを歴任した。1981年にブラジル代表監督に就任すると、南米予選を無敗で通過する敏腕ぶりを見せつけ、1982年スペイン大会ではMFジーコら「黄金のカルテット」を擁して、後世に語り継がれる伝説のセレソンをつくった。そして1992〜1993の2シーズン、サンパウロの監督としてコッパ・リベルタドーレスとトヨタカップの連覇を達成。稀代の名将として高い評価を得たまま1995年を最後に現場から退いた。

 そのテレ・サンターナは先月、腸の感染症を患い、ベロ・オリゾンチ市内のフェリッシオ・ホッショ病院に入院。治療に専念していたが、病状は悪化の一途をたどるばかりだった。完治を望む声はブラジル国内のあちこちから聞こえたが、そんな願いもむなしく、テレ・サンターナ監督は息をひきとった。死因は、複数の器官の破裂とされている。。同氏の遺骨は、3月22日にもベロ・オリゾンチ近郊のサント・アゴスチーニョの墓地に埋葬されるとのこと。

 4-4-2 のフォーメーションを世界中に浸透させるなど、様々な偉業で現代のサッカー界に大きな貢献を果たしたテレ・サンターナ氏。彼の死を惜しむ声は、ブラジルだけでなく世界中から多く聞かれる。今はただ冥福を祈るばかりだ。

2006年4月22日
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