Centro de Futebol do Zico 2005 〜ブラジル慈悲試合〜 ブラジルの冒涜? マラドーナ、珍騒動で華麗なる一人芝居。
リオ・デ・ジャネイロで、マラドーナ激昂。
クリスマスに近い2005年12月22日。リオ・デ・ジャネイロではジーコ日本代表監督の主催による慈悲試合が行われた。セントロ・ジ・フチボウ・ド・ジッコのエスタジオ・アントウーネスで行われた ジーコ・オールスターズ×ブラジル・オールスターズ は、4-4 で引き分け。約5000人の観衆を集めて、無事に終了した。 慈悲試合の入場は、金券でなく食料品で賄われ、約4トンもの食料品がこの1試合で集められた。これらは複数の福祉団体に寄付され、試合だけでなくイベントとしても成功をおさめることができた。 この試合で最も注目された元アルゼンチン代表MFディエーゴ・アルマンド・マラドーナは後半途中に退くまで、随所に見せ場をつくり、観客を魅了。試合後、マラドーナは「ジーコのような偉人とプレイできて嬉しい」と満足げに語っていた。 ところが、そのマラドーナ氏がアルゼンチンへの帰路でひと悶着を起こし、皮肉にもそれが慈悲試合最大の"ネタ"となって世界中に報道されたのであった。 ブエノスアイレス ( アルゼンチンの首都 ) に帰ろうとしたマラドーナは、リオ・デ・ジャネイロのアントーニオ・カルロス・ジョビン空港に着いたものの、予約していた便の搭乗に間に合わず、同便はマラドーナを待たずして離陸。これに憤慨したマラドーナが、空港で暴れたという。周囲にあった物を壊すなどしたことから器物破損の現行犯で軍警や現場の係員に取り押さえられたマラドーナ。壊した物を弁償して釈放されたものの、暴れなければ1便程度の遅れで済んだはずの帰国が、まる1日延期されてしまった。単にマラドーナの自業自得に尽きる話だった。 だが、この騒動はこれで終わらず、アルゼンチンに帰国したマラドーナは自分の看板テレビ番組で「リオで係員が俺に銃を突きつけやがったんだ」と激しい憤りを表したという。しかし、これについては事実とは異なる部分も多い。実際に突きつけられたのは警棒だったようだが、それをマラドーナは銃と勘違いしたらしい。ただし、彼のこの発言にリオ・デ・ジャネイロ側が気を良くするはずもなく。 ペレとの仲直りで修復されるかに思われたマラドーナとブラジルとの関係だったが、再び亀裂が生じてしまうかもしれない。 写真; ジーコ・オールスターズの一員としてプレイしたMFマラドーナ ( 写真右 ) 。
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