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Campeonato brasileiro 2005 〜 ブラジル全国選手権 2005 〜

鹿島が今も忘れえぬ名手、ジョルジーニョが母国で監督デビュー。
元鹿島アントラーズのジョルジーニョ、アメリカRJの監督に就任

 1994年アメリカW杯の優勝メンバーで鹿島アントラーズでも大活躍したジョルジーニョが、母国ブラジルで監督に就任した。元ブラジル代表の右サイドバックとして今もなお多くのサッカーファンに愛され続けている同氏の監督就任を、地元リオ・デ・ジャネイロのファンは素直に喜んでいるという。

 ジョルジーニョこと本名ジョルジ・ジ・アモーリム・カンポスは、1964年生まれの41歳。ワールドカップでは右サイドの職人として名を馳せた。リオ・デ・ジャネイロのベルジッカ高校を卒業してプロの道に入ると、名門フラメンゴでは往年のジーコ ( 日本代表監督 ) とともにプレイし、バイヤー・レーファークーゼン、バイエルン・ミュンヘンを経て、1994年のW杯終了後ジーコに誘われて来日。鹿島アントラーズに入団した。
 鹿島では本職とは違うボランチを任されたが、ジョルジーニョはその大役をそつなくこなした。彼の右足から放たれる正確なパスは、マジーニョや長谷川 ( 当時 ) らの得点を幾度となく演出。ポジショニングや攻守の橋渡しも申し分がなく、ファンから絶大な信頼と支持を得ていた。年俸の折り合いがつかずに退団した彼はその後母国ブラジルのクラブを渡り歩き、2002年のフルミネンセを最後に現役を引退した。

 そんな彼がプロとしての第一歩を踏み出した最初のクラブがアメリカRJだった。ジョルジーニョは日本に限らず、母国ブラジルでも人気を博しており、そんな彼の監督就任にマスコミも一斉に騒ぎ立てた。当のアメリカRJのサポーターは、ジョルジーニョの監督就任の知らせを素直に喜んでいるとのこと。

 また、ジョルジーニョ新監督の元には、副監督にアイウトン氏が、テクニカル・コーディネーターにはゼ・カルロスが就任することも合わせて発表された。2002年の現役引退以降、約3年ぶりに表舞台に復帰したジョルジーニョ氏。監督としての経験は皆無に等しいが、頭の回転の速さはすでに折り紙付きだ。また、彼の真面目な性格も監督業に適しているはず。「ジョルジーニョ監督」はどのような采配を見せてくれるのだろう。アントラーズのサポーターならずとも、気になるところだ。

 写真; 1994年W杯では右サイドバックとして、また鹿島アントラーズ時代には名ボランチとして活躍したジョルジーニョ氏 ( 元ブラジル代表 ) 。写真は、母国ブラジルのテレビ局「TVグローボ」の番組に出演時の様子。

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