ここは、南米サッカーサイトです。   ブログサイトマップ

Campeonato Brasileiro 2005 〜ブラジル全国選手権〜

今季最大のディープインパクト。ペレU世と称されたエースストライカー、マドリーへ。
2005年 サントスの主力放出 第4弾

 「 ぼくの心はマドリーにある 」
 レアル・マドリー入りが決まったホビーニョのコメントの一部が、それだった。

 移籍金を巡る交渉にピリオドが打たれた。以前からサッカー界を賑わせてきた超大物ゴールゲッターの移籍先が、7月21日を以って確定。FWホビーニョの所属するサントスが、レアル・マドリーとの移籍金交渉で合意に達したことにより、ホビーニョのレアル・マドリー入りが現実のものになった。数年に渡って南米サッカー界をリードしてきた21歳の新星が、活躍の舞台をスペインに移すこととなった。

 ホビーニョは、ブラジルでも最大の人気を誇るエースストライカー。王様ペレがその実力を認めた超大物である。2002年、ホビーニョは大親友のMFジエーゴ ( 現FCポルト ) らとともにサントスをブラジレイロンの優勝へと導き、一躍脚光を浴びはじめた。当時18歳。溢れ出す才能は、そのときすでに開花していた。以後、ホビーニョはサントスになくてはならない存在に成長。2004年には母親が誘拐され試合に出られない不幸にも遭遇したが、それも克服してチームを再びブラジレイロン優勝へと牽引した。20歳にして、彼の名は世界中に広まっていった。
 軽い身のこなし、独特なリズムで相手を翻弄する素早いドリブル、そして高い決定力。ストライカーとしての能力では、高さ以外のすべてにおいて優れた「才能」。それが【 ペレU世 】、つまりホビーニョなのである。

 そのホビーニョを是が非でも我がクラブにと、以前から獲得の意志を表明していたのがスペインの名門「レアル・マドリー」だった。昨年末、サントスを離れレアル・マドリーに入閣した名将バンデルレイ・ルシェンブルゴが、銀河系軍団のレベルアップに必要な人材として兼ねてからホビーニョの名をあげていたこともあり、マスコミもまたホビーニョのマドリー入りを一斉報道。これがどのような影響を与えたのかは定かでないが、サントスのマルセーロ・テイシェイラ会長はホビーニョの放出を阻止せんと「リベルタドーレス2005の終了までは、絶対にホビーニョを出さない」と公言。さらに、4,100万ユーロ(約55億3,500万円)という高額な移籍金を設定した。この金額がネックとなり、交渉のハードルが上がってしまった。
 ところが、リベルタドーレスでサントスの敗退が決まると、ホビーニョは態度を一変させてレアル・マドリーへの移籍を熱望。サントスの首脳陣と対立し、練習や試合をボイコットしはじめた。さらには、「 移籍金のうち、ぼくの収入になる40%のお金をぼくが放棄することで移籍金を下げられるのなら、ぼくはお金なんていらない。ぼくはまだ若いし、お金はそんなに重要じゃない 」と発言し、己の懐に入る移籍金の一部をホビーニョ自身が放棄するという異例の事態にまで発展してしまったのである。

 だが、奇遇にもホビーニョのこの発言が、移籍交渉のハードルを下げる結果になった。サントスが提示した金額は 2,400万ユーロ(約32億4,000万円) にまで下落し、レアル・マドリーとの交渉が成立。こうして7月21日を以って、移籍が確定したのであった。
 ホビーニョは、自分自身がさらなる成長を遂げるために、そして来たるワールドカップに備え、ドイツでセレソンの7番に袖を通すために、今後も成長していくことだろう。

 一方、エラーノ、レオ、デイビッジに加えて、ついにホビーニョまで放出した今年のサントスは、かつてない緊急事態を迎えている。この現実の厳しさは、DFアレックス、MFヘナット、MFパウロ・アウメイダ、MFジエーゴを放出した1年前の比ではない。

 写真右上; 念願のレアル・マドリー入りを果たしたFWホビーニョ。次世代のセレソンを背負って立つであろう新星は、きっとサンティアーゴ・ベルナベウでも人々を虜にするはずだ。
 写真左下; 2004年4月、サントスのクラブハウスにて。左は、ホビーニョの大親友でもあるMFジエーゴ ( 現FCポルト ) 。

ブログサイトマップ