ここは、南米サッカーサイトです。   ブログサイトマップ

Campeonato Brasileiro 2004 〜ブラジル全国選手権〜

リヨンの悲劇、再び。 サンパウロに深い悲しみ…
第38節 サンパウロ 〜中止〜 サンカエターノ

 許されない悪魔のいたずらだった。 元カメルーン代表の故マルク・ビビアン・フォエ (享年28) と同じ運命をたどる選手が、またも現れてしまった。サンパウロ州のクラブチーム「サンカエターノ」に所属するDFセルジーニョが、突然の心肺停止。彼はそのまま還らぬ人となってしまった。

 それは、10月27日のブラジル全国選手権第38節、サンパウロ州のエスタジオ・パレストラ・イタリアで行われた「パウメイラス×サンカエターノ」の試合中に起きた突然の悲劇だった。後半開始直後、DFセルジーニョが突然ピッチに倒れこんだ。何の接触もない状況での"事故"に、意識がなく、ピクリとも動かなかったセルジーニョの異常事態に試合はノーゲームとなった。異常を察知して駆けつけた医師団は必死でセルジーニョの蘇生を試みた。だが、搬送された病院で死亡が確認された。享年30だった。

 1999年からサンカエターノのDFとして汗を流していたセルジーニョは、近年のサンカエターノ躍進の原動力となった一人でもあった。無名の選手の潜在能力を引き出すことに定評のある、ブラジル屈指の健全経営クラブ「サンカエターノ」。2000年を境に実力の底上げが成功した同クラブは、コパ・ジョアン・アベランジェでの好成績をを皮切りに、コパ・リベルタドーレスやサンパウロ州選手権など様々な大会で良い結果を残すようになっていた。2004年の今季も、サンパウロ州選手権でサントスやサンパウロ、コリンチャンスらといった強豪を退けて優勝を飾っており、ブラジル全国選手権でも首位との勝ち点差4の4位と結果を残していた。セルジーニョは、優勝の可能性も残されていた同クラブの中心選手だっただけに、この死がチームの調子にどう影響を及ぼすだろうか。

 死因は心肺停止だが、心肺停止にまで至った要因は不明である。記憶に新しいところでは、2003年6月28日にフランスのリヨンで行われたFIFAコンフェデレーションズ・カップ準決勝で、元カメルーン代表の故マルク・ビビアン・フォエ選手が突然ピッチで突然死という悲劇に見舞われている。 しかし、今回のセルジーニョの突然死は、故フォエ選手の突然死とは多少状況が違っていた。
 チームメイトの話ではセルジーニョには検査で心臓に問題がある事が発覚し、1%の確率で最悪の事態が起こるかも知れないと言われていたとのこと。こうした経緯から、本人も2004年を最後に引退も考え始めていたそうだ。そんな矢先の出来事…。仮にこれが事実で、チームがそのことを知りながらプレイさせていたとするなら大問題に発展しそうだ。
 それとフォエ選手のときは、猛暑と過密日程の両方の負担が重なって起こった突然死だと思われている。だが、ようやく寒かった冬を乗り越えて、これから夏に向かいつつある立春のサンパウロ州の27日の気温は、最高24度、最低14度だった。猛暑とも極寒とも言えぬ、スポーツをするにはほどよい気候だった。湿度は70%を超えていたが、これが心肺停止につながったとは考えられない。強いて言えば、全国選手権の過密日程が契機となっているのかもしれない。同選手権は、全24チームの総当たりがホーム&アウェイで全46節もある、世界的にも非常に多すぎる試合日程が組まれている。これを4〜12月のわずか9ヶ月で全日程をこなすには、週末だけでは当然無理が生じ、ミッドウィーク(火〜水曜)に試合を行うこともしばしばあった。ブラジルサッカー界で最も格式高いリーグのスケジュールは、あまりにも過密なのである。
 この事態を、CBF(ブラジルサッカー協会)は、どのように受け止めるのだろう…

 リヨンの悲劇は、南米屈指の国際都市サンパウロにももたらされてしまったのだった。

 写真; 試合中に突然倒れ、そのまま還らぬ人となってしまったセルジーニョ。

ブログサイトマップ